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名古屋地方裁判所 昭和53年(ワ)453号 判決 1982年5月10日

原告

植田時雄

原告

植田綾子

右両名訴訟代理人

島田芙樹

右訴訟復代理人

松川正紀

野田弘明

被告

名古屋市

右代表者市長

本山政雄

右訴訟代理人

鈴木匡

大場民男

右大場民男訴訟復代理人

山本一道

鈴木順二

伊藤好之

主文

一  被告は、原告ら各自に対し、金三五〇万円及びこれに対する昭和五二年三月二八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その三を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告らに対し、それぞれ金一四五三万九五九六円及びこれに対する昭和五二年三月二八日以降支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告両名の地位

原告植田時雄は訴外亡植田奈美(昭和四九年七月二六日生れ。以下亡奈美という。)の父、原告植田綾子は亡奈美の母である。

2  本件事故の発生

亡奈美は、昭和五二年三月二七日午後〇時すぎころ、名古屋市千種区田代町鹿子殿八一番地内の猫ケ洞池(以下本件池という。)に転落して溺死した(以下本件事故という。)。

3  被告の責任

(一) 本件池は、被告の所有かつ管理する面積約6.5ヘクタールの池であるが、元来農業用ため池として開さくされ、名古屋市東部地域の水田かんがいの用に供されてきたところ、戦後農地及び付近丘陵地帯の市街化により農業用ため池としての機能を徐々に失つて、付近丘陵地帯からの雨水を受入れる役割を果たすようになり、被告が、本件池の一定量を超えた余水を矢田川に放流するため、昭和四四年に同川への排水路を開設した後は、水量の安定した池となつている。

(二) 本件池は、高さ一〇メートルほどの堤防で囲まれ、その南、北、西の三方は堤防上に道路が走つている。そしてその南側と北側では葦生えの湿地がなだらかに池に続いているのに比べ、西側の堤防は、池側の下半分ほどがコンクリートで固められ、かつ堤防上から水面に至る斜面がかなりの急勾配で滑りやすく、しかも同池は西側堤防沿いの部分が最も深くなつていて、同池の周囲では右西側堤防付近が最も危険な箇所であつた。

(三) しかも、本件池は水鳥の棲息地として知られ、また池中には鮒、鯉等の魚が多いため、野鳥の愛好家や釣人、子供たちが多数集まる場所であり、更に、西側堤防上の通路は、自動車の通行が禁止されていることもあつて、人が自由に往来できる場所として、また近隣の居住者の近道として、あるいは遊歩道や子供の遊び場として使用されている状況にあつた。

(四) このような状況の下にあつては、本件池の所有者であり管理者である被告は、西側堤防上に全面的に木柵を設けるなど、右堤防からの池への転落及び同堤防斜面への立入の防止に必要かつ十分な措置をとるべきであつたにもかかわらず、同池南側の堤防上の通路沿いに木柵を設けたのみで、西側堤防上には何ら防護設備を設置していなかつたものであつて、公の営造物又は土地の工作物である猫ケ洞池の管理又は保存に瑕疵があつた。

(五) 亡奈美は、西側堤防上に防護設備がなかつたため、同堤防上路肩部分から足を滑らせ、あるいは同堤防斜面を下りようとして誤つて本件池に転落したものであつて、本件事故は右瑕疵によつて生じたものであるから、被告は国家賠償法二条一項又は民法七一七条一項により、本件事故によつて生じた後記損害を賠償すべき責任がある。

4  亡奈美及び原告らの損害

(一) 亡奈美の逸失利益

金九〇七万九一九三円

亡奈美は、本件事故当時二年八か月の健康な女児であつたから、本件事故がなければ満一八才から六七歳までの四九年間は稼働可能であり、右期間を通じ、少なくとも、昭和五〇年度賃金センサスにおける産業計、企業規模計、学歴計の一八ないし一九才の女子労働者の年間平均給与額金九九万七一〇〇円に五パーセントを加算した金一〇四万六九五五円の年収を得ることができたはずであり、そして右収入を得るために控除すべき生活費は右全期間を通じて収入の五割を上回ることがないから、亡奈美は本件事故により前記四九年間毎年収入額の五割に相当する得べかりし利益を失つたことになる。

そこでこれを事故発生時における一時払額に換算するため、ホフマン式計算法により民事法定利率年五分の割合による中間利息を控除すると、金九〇七万九一九三円となる。

右計算式は次のとおりであつて、17.344は亡奈美の満六七年までのホフマン係数(利率年五パーセントの単利年金現価率、以下同様。)28.324から同一八年までの同10.980を控除したもの。

1,046,955円×0.5×17.344=9,079,193円

(二) 亡奈美の慰藉料

金一〇〇〇万円

亡奈美は本件事故により多大の苦痛の中で死んでいつたことが推認される。この精神的苦痛を慰藉するには金一〇〇〇万円を要する。

(三) 相続

原告らは、亡奈美の右(一)、(二)の損害賠償請求権(合計金一九〇七万九一九三円)をその二分の一に当る金九五三万九五九六円宛各相続により取得した。

(四) 原告らの慰藉料

合計金一〇〇〇万円

亡奈美は、原告ら夫婦の長女であり、本件事故当時二才八か月の愛くるしい幼女であつて、原告らは亡奈美を掌中の珠のように愛しんでいたところ、不測の本件事故により無残な形でこれを失つたものであり、その哀惜の念は筆舌に尽し難い。原告両名の右精神的苦痛に対する慰藉料として各自金五〇〇万円が相当である。

5  よつて、原告ら各自は、被告に対し、右損害金合計金一四五三万九五九六円及びこれに対する本件事故発生の日の翌日である昭和五二年三月二八日以降支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因1項の事実は認める。

2  同2項の事実のうち、亡奈美が本件池で溺死したことは認めるが、その余の事実は知らない。

3(一)  同3項(一)の事実はすべて認める。

(二)  同(二)の事実のうち、本件池が堤防で囲まれ(ただし、その高さは約六メートルである。)、南、北、西側の堤防上には通路があること、同池の南東側と北側に葦生えの湿地がなだらかに池に続いていること、西側堤防の池側下半分ほどがコンクリートの護岸張となつていることは認めるがその余は否認する。右護岸張の勾配は約二八度であり、池の水深は岸側は浅く中心の深い所で二メートル余であつた。

なお、本件池付近の形状は、谷間をせきとめたような形となつており、南側及び北側は、池の周囲の通路部分までは崖状であり、また西側堤防は最高七メートル余の高さを有し、更に東北側は葦原が樹木等の生い繁つたゆるやかな斜面へと連なり、その東側には広く平和公園と呼ばれる墓園が存在し、本件池との境は高低差二十数メートルの山の斜面となつていて、残る南東部分は一方の谷間であり、空地となつていた。また、前記堤防上の通路は、池北方において不分明となつており、人が池を一周できる園路の形状とはなつていない。

(三)  同(三)の事実のうち、本件池が水鳥の棲息地であること、西側堤防上の通路は自動車の通行が禁止されていることは認めるが、その余は否認する。前(二)記載の本件池付近の形状が本件池への外側からの出入りの障害となつており、また付近の道路状況をも考え併せると付近住民が西側堤防上の通路を利用していたとは認められず、本件池には管理にあたる職員、水鳥の観察者等ごく限られた人が接近するだけであつた。

(四)  同(四)の事実のうち、被告が本件池の南側の堤防上の道路沿いに木柵等を設置していたことは認めるが、その余は否認する。

本件池の管理及び保存には、次のとおり瑕疵がなかつた。

前(二)記載の本件池の形状自体が外部からの池への接近を阻む役割を果たしていたのであるが、最も池の水面に近づき易い東側から南側にかけては、被告は木柵及び金網フエンスを設置していた。

そして、西側堤防については、幅員約七メートルの堤防上ほぼ中央に幅2.5メートルほどの砂利道が通路として設けられており、その東側には雑草が生えて右通路とは明瞭に区別された約2.5メートル幅の余裕地があつて池への斜面に連なつていたのであつて、人が通常の利用に従い右砂利道を通行するかぎり池に転落する危険はなかつた。また、同堤防路肩部分から池への斜面の中央部にかけては、樹木及び雑草がかなり生繁つており、人が同斜面に立入り、あるいは池へ転落することを防止する働きをしていた。それだけでなく、人が同斜面を上り下りした形跡が認められた地点には、路肩部分に木柵を設置するとともに、危険及び立入禁止の立札を立てて同斜面への立入りを防止する措置を講じていた。

なお、公の営造物ないし土地の工作物の安全性については、一般的には少なくとも保護者の監視を離れて独立して行動することが社会通念上肯認される程度の能力を具える者を対象としてこれを考慮すれば足り、常に保護者の監視の下においてのみ行動することを要すると考えられる乳幼児等の者については、その保護者の監視を離れて行動する場合のことまでを予想し、営造物等の管理者においてその危険性を防止しうる構造、設備をしなければならない義務はないと解すべきである。そして、被告の講じた右防護措置は、少なくとも保護者の監視を離れ独立して行動することが社会通念上肯認される程度の能力を具える者に対しては、転落防止に必要かつ十分なものであつたから、本件池の管理、保存に瑕疵はなかつた。

(五)  同(五)については否認ないし争う。

西側堤防上には、前記のとおり、危険と思われる三か所の路肩部分に木柵が設けられており、かつその余の部分には路肩から斜面中央部にかけて樹木、雑草が生繁つていたのであるから、亡奈美が路肩部分で足を滑らせ一気に水中に転落することはありえない。

また、本件池の管理、保存には、前記のとおり瑕疵がなく、本件事故は、専ら、亡奈美が二年八か月の幼児で未だ単独で行動することが社会通念上肯認される程度の能力を具えていなかつたにもかかわらず、その保護者である原告両名が亡奈美の監視を怠つたことに起因するものである。

4  請求原因4項の事実のうち、亡奈美が本件事故当時二年八か月であつたこと、原告ら夫婦間の長女であつたこと、及び原告両名が各二分の一宛亡奈美を相続したことは認めるが、その余は知らない。

第三  証拠<省略>

理由

一本件事故の発生

亡奈美が本件池で溺死したこと及び昭和四九年七月二六日生れであり、したがつて当時二年八か月の幼児であつたことは当事者間に争いがない。そして、<証拠>によれば、亡奈美は、昭和五二年三月二七日午前一一時三〇分ころ、原告方裏口から一人で遊びに出かけたこと、右裏口は本件池の西側堤防上の通路の南端、南側堤防上通路と交わる所に面していること、同日は日曜日であつたため、本件池堤防で魚釣りをする人々も多くいたこと、同日午前一一時五〇分ころから午後〇時一五分ころまでの間本件池付近に夕立のような雷雨があつたこと、午後〇時すぎころ原告時雄が亡奈美を捜しに出たが同女を見付けることができなかつたこと、そして翌二八日午後一時二〇分ころに至り、本件池を捜索していた警察官により、本件池の水底から亡奈美の死体が発見されたこと、右死体が死後一昼夜程度経過していると推定されたこと、亡奈美の着衣等には何らの乱れもなく、また同死体に目立つた外傷も溢血点もなかつたことを認めることができる。以上によれば、亡奈美は右雷雨のころ、すなわち昭和五二年三月二七日午後〇時前後に、本件池に転落したことにより溺死したと推認することができる。

二公の営造物

本件池は、被告名古屋市の所有、管理する面積約六万五〇〇〇平方メートルの池であること、もと農業用ため池として開さくされたものであるが、戦後徐々にその機能を失つて、現在は付近丘陵地帯の雨水を受入れる役割を果たしていること、西側堤防の池側斜面の下半分ほどがコンクリート製の護岸張となつており、また昭和四四年ころに被告が本件池の余水を矢田川に放流する排水路を建設したことは当事者間に争いがなく、そして以上の事実に証人杉浦芳喜の証言にあわせ総合すると、本件池は公共団体たる被告市がその権限に基づき管理する公の営造物であると認められる。

三本件池の本件事故当時の形状等

本件池は、堤防で囲まれ、その南、北、西の三方は堤防上に通路があつたこと、南東側と北側では葦生えの湿地がなだらかに池に続いていたこと、南側堤防上には通路沿いに木柵が設けられていたことは当事者間に争いがなく、また前示のとおり西側堤防池側斜面の下半分ほどはコンクリート製の護岸張となつていた。

そして、<証拠>を総合すれば、以下の事実を認定することができる。

1  本件池の形状及び付近の状況は別紙平面図のとおりであるが、これを敷衍すれば、同池は深皿状になつていて、水深は最大のところで二メートル余、西側堤防沿いの南寄り部分では水際から約二メートル離れた所で一メートル以上あつた。南側堤防はその西側から東方にかけて徐々に低くなつており、同堤防上の通路は南東隅の新池からの取水口付近では本件池水際に極めて接近していた。西側堤防は、水面から六、七メートルの高さで、北西方向から南東方向にかけてほぼ直線状になつており、その天頂部は幅約七メートル、長さ二百数十メートルの平坦な通路となつていた。右通路はその中央部が砂利道となつており、その両側には雑草の生えた部分があつたが、右雑草は芝のようにたけの低いものがほとんどであつて、雑草の生えた部分も通行が容易であつた。同堤防の池側斜面は路肩部分から護岸部分までの上半分ほどが約二六度、その下の護岸張(コンクリート)部分が約二八度の勾配となつて、そのまま本件池に落ち込んでいたが、右護岸張部分の傾斜は大人でさえ歩行にやや困難を感じるほどに急なものであり、しかも滑り易い。そして同斜面の路肩部分から護岸張までの間は樹木や雑草が生えており、草木の繁茂する季節にはそれらが密生した状態で堤防上の道路部分にまで張り出してくるため、それ自体が斜面への人の立入りを防止する役割を果たしていたが、本件事故当時はほとんどの樹木が葉を落し、草は枯れていたため、草木がまばらにあるに過ぎない部分もあり、人の同斜面への立入りあるいは路肩部分からの転落を阻止できる状況ではなかつた。

2  本件池の北側堤防上通路の北方は高さ数メートルの崖状になつていて、その上にはアパート式住宅が数棟あり、さらに北西方の住宅街に続いていた。また西側堤防の西側には道路をはさんで人家が密集しており、同堤防及び南側堤防の南方にも多数の人家が建ち並んでいて、なかでも原告方及びその隣家は裏口が西側堤防上通路の最南端に面しており、本件池に極めて接近していた。本件池は水鳥の棲息地であり、野鳥も多く飛来するためこれらの観察場所として、また魚釣り場や遊び場などとして、愛鳥家、釣人、子供たちが集まり、また本件池は修景池でもあつて、西側堤防上には、その北端から約五〇メートルの池側斜面に張り出しの展望台も設けられており、さらに堤防上の通路は自動車の乗入れが禁じられていたこともあつて、散策等に適した場所として、休日には家族連れなど多くの人々がここを訪れていた。なお、西側堤防上の通路はその南北両端において市中道路と接続しており、また東側堤防上の通路も外部道路に通じているため、外部からの本件池への出入りは容易であつた。

3  被告は、昭和四六年から同五一年にかけ、人が本件池水際に接近するのを防止するため、別紙平面図及び見取図に示すとおり、南側堤防上通路沿いに前示の木柵を設けたほか、東側堤防水際付近にも木柵を設け、前記南東隅の新池からの取水口付近の最も水際に近い部分には高さ1.2メートルの金網フェンスを設置し、さらに西側堤防上にも、前記展望台への渡り道両側から同堤防上通路にかけてL字形に木柵を設け、その木柵の南端から南方へ約六〇メートルを隔てた地点の通路沿いに長さ約12.1メートルの木柵、さらに右木柵の南端から約五四メートル南の通路上にも長さ約一二メートルの木柵(以下南の木柵という。)を設置していた。西側堤防上には、右のように三か所の木柵をいわば点在するような形で設置したほかには、何か所かに危険を示す立札や立入禁止の標識があつたのみで、防護柵等は設けられていなかつた。

南の木柵は、その北側の木柵と同様に池側斜面を人が上り下りした痕跡が通路状となつている箇所を中心に、右通路状部分の通行を遮断し斜面への立入りを防止する目的で設けられたものであり、地上高さ約一メートルの木杭を一メートルほどの間隔で地中に打込んだその上に笠木を渡し、各木杭間を上下三段、約二五センチメートル間隔に針金で結んだものであるが、同堤防上通路の路肩部分から一メートルほど内側に設置されていたため、路肩部分の雑草等の枯れていた本件事故当時にあつては、人が柵をすり抜けて容易に右斜面通路状部分に立入ることができるだけの余裕があつた。また右通路状部分は路肩部分から護岸張部分まで数十センチメートルの幅でほぼ直線状に下つており、草木は生えておらず、本件事故当時には枯葉が積もるなどして滑りやすい状態であつた。

右のように認定することができ、これを覆えすに足りる証拠はない。

四本件池の管理の瑕疵

以上のような本件池の規模、形状、水深等からすれば、生命や身体の危険を認識し、自力でこれを避けることのできる能力を有する者であればともかく、そのような能力を具えない幼児については、本件池に接近すればこれに転落する危険性は高く、かつ一旦転落すれば死亡するに至る可能性も極めて高かつた。また、前記のとおり、本件池は、野鳥などの観察場所や魚釣り場、遊び場などとして子供たちなど多くの人の集まるところで幼児の興味をそそる場所であつて、しかも本件池の付近は住宅街となつていて本件池に近接する人家もあり、外部から本件池に出入りすることが容易で、家族連れなども多数本件池を訪れていた状況にあつたのであるから、右のような危険を認識しこれを避けうる能力のない幼児が本件池に接近することも、十分に予測されるところであつた。

そして、ことに西側堤防については、前記のとおりの構造、斜面の勾配及び草木の状態、堤防上通路の状況等からすれば、少なくとも草木の繁茂しない冬期から春先にかけては、幼児が、自由に通行できる同通路から滑りやすい斜面に立入つて、あるいは同通路上路肩付近で転倒するなどして本件池中に転落する危険性があつたといわなければならない。したがつて、本件池を所有管理する被告としては、幼児が西側堤防上通路から同斜面に立入ること及び通路上路肩付近から転落することを防止するに足りる十分な防護措置を講じるべきであつた。

ところが、被告は、右西側堤防上には、前示のとおり、斜面上に展望台があつて堤防上通路から斜面に立入りやすい部分及び斜面上の上り下りした通路状の痕跡があつた付近二か所の合計三か所に木柵を設けたほかには、いくつかの立札等で注意を促していたにすぎなかつた。しかも、前記南の木柵にあつては、冬期から春先までは人がその端を容易にすり抜けて斜面に立入ることができる状態になつていたのであつて、右柵自体も斜面への立入や池への転落を防止する機能を十分具えていたものとはいえない。

したがつて、西側堤防につき被告のなした右防護設備のみをもつてしては、右のとおり危険性の高い本件池の西側堤防に関して、幼児の転落事故を防止するに足りる十分な設備が施されていたとすることはできないのであつて、本件池の管理には瑕疵があつたといわなければならない。

なお、被告は、一般に営造物等の安全性については、保護者の監視を離れて独立して行動することが社会通念上肯認される程度の能力を具える者を対象としてこれを考慮すれば足り、常に保護者の下においてのみ行動することを要すると考えられる乳幼児等の者については、その保護者の監視を離れて行動する場合のことまでを予想し、その危険性を防止しうる設備等をしなければならない義務はない旨主張する。けれども、幼児が監護者の手を離れて独力で接近することが通常では予想しえないような場所にある池についてはともかく、本件池のように、極めて危険性の高いものでありながら、幼児の興味を引く場所であり、しかも幼児の接近しやすい位置にある池については、右のごとき能力を欠く幼児であつても保護者の監視を離れて独自に接近することが十分に予測できるのであるから、管理者としてはこれら幼児の池への接近を阻止し、転落の危険を防止しうるだけの措置を講じることを要すると解すべきである。これと見解を異にする被告の右主張は採用することができない。

五被告の責任

亡奈美が本件池にどのようにして転落したかは、目撃証拠もなく、その詳細は必ずしも明らかではないが、<証拠>を総合すれば、亡奈美の死体が発見されたのは、別紙平面図及び見取図に記載の×印付近、すなわち西側堤防上の前記南の柵の下方付近で、水際から約二メートル離れた水底であり、また同所付近はほとんど水の流れがなかつたことを認めることができ、これに前示の西側堤防斜面の勾配及び当時の草木の状態を併せ考慮すれば、亡奈美は、右死体発見場所の上方である西側堤防上の前記南の木柵付近の路肩部分(前記のとおり当時右木柵の端は容易にすり抜けられたのであるから、木柵の設置されていた部分の路肩の可能性もある。)か、あるいはその下方の斜面上から誤つて転落したものと推認することができる。右推認をくつがえすに足りる証拠はなく、また亡奈美の死体に目立つた外傷や溢血点がなかつたことをもつて右堤防から転落したとの推認を妨げるものということはできない。

そして、亡奈美が当時二年八か月の幼児であつたことは前示のとおりであるから、本件事故は、幼児が右斜面へ立入ること及び池に転落することを防止するに足りる十分な設備のなかつた、公の営造物である本件池の管理の瑕疵によつて生じたものといわなければならない。本件事故は専ら原告らの亡奈美に対する監視を怠つた過失に起因するとの被告の主張は採用することができない。したがつて、被告は、国家賠償法二条一項により、本件事故によつて生じた原告らの損害を賠償する責任がある。

六損害

1  亡奈美の逸失利益

金九〇七万九一九三円

亡奈美は当時二年八か月の幼女であつたところ、満二歳の健康状態が普通の女子の平均余命年数が第一四回生命表によると75.65年であることを考慮すると、亡奈美は、本件事故がなければ少なくとも満一八歳から六七歳まで四九年間稼働し、収益を得ることが可能であつたものと推認する。

次に労働大臣官房統計調査部発表の昭和五二年度賃金センサス第一巻第一表によると産業計企業規模計学歴計の一八ないし一九才の女子労働者の年間平均賃金額(年間賞与等を含む。)が原告ら主張の金一〇四万六九五五円を下回ることがないことは明らかである。そして他に特段の資料のない本件の場合、亡奈美は満一八歳になる昭和六七年から六七歳までの四九年間、少なくとも毎年右金額を下らない収入をあげることができるものと推認する。

他方右収入を得るに必要な生活費については前記稼働可能期間を通じて五割と認める。

そうすると亡奈美は、本件事故によつて、前記稼働可能期間を通じて毎年、前記収入額の五割に相当する得べかりし利益を失つたものというべきである。

そこでこれを本件事故発生時における一時払額に換算するためホフマン式計算法により民事法定利率五分の割合による中間利息を控除すると原告ら主張の金九〇七万九一九三円となることが計算上明らかである。

2  慰藉料 合計金八〇〇万円

亡奈美が本件事故により死に至るまでの間大きな精神的苦痛を受けたであろうことは容易に推認されるところであり、また原告ら各本人尋問の結果によると、原告両名としてもその愛児を不慮の事故により失うに至つたものであつて、多大の精神的苦痛を受けたことが認められる。そして右事情のほか本件訴訟に現れた諸般の事情を考慮すれば、慰藉料としては、

(一)  亡奈美本人に対し 金四〇〇万円

(二)  原告両名に対し 各金二〇〇万円と認めるのが相当である。

3  相続

原告両名が亡奈美の両親であることは当事者間に争いがないから、原告両名はそれぞれ亡奈美の前記1及び2の(一)の損害賠償請求権を、右損害額合計金一三〇七万九一九三円の二分の一に当る金六五三万九五九六円宛相続した。したがつて、原告両名の損害額は右相続分を含め各金八五三万九五九六円となる。

七過失相殺

亡奈美が本件事故当時二年八か月の幼児であつたことは前記のとおりである。ところで一般的に、この年令の幼児においては、生命身体に対する危険を察知してこれを自ら回避することのできる能力をほとんど具えておらず、他方では、好んで一人歩きをしたがる年頃で、その行動範囲も必ずしも自宅近辺の小範囲にとどまらない。したがつて、その監護者は、幼児が自動車の通行する道路や池沼、河川その他危険な場所に赴くおそれがある場合には、常にその行動を監視して幼児が危険に遭遇することを未然に防止する義務があることはいうまでもない。

ところで、前記認定のとおり、本件池は、幼児が単独で接近すれば転落する危険性の高いものであつて、またその西側堤防上通路の南端には原告方裏口が面していたため、亡奈美が本件池に近づくことは原告両名にも容易に予想できたのである。そして原告両名各本人尋問の結果によれば、原告両名は常々亡奈美に対して本件池に近づかないよう注意しており、また以前に一度同女が一人で南側堤防上通路で遊んでいた際に、原告綾子が同女を強く叱りつけたことがあつたこと、しかし、本件事故当日は、同原告が外出していて、亡奈美を監視できるのは原告時雄だけであつたところ、同日午前一一時三〇分ころ、亡奈美が遊びに行きたいと言うのに対し、同原告は、当時来客があつたため、同女を一人で右裏口から遊びに出してしまつたこと、その際、同原告は亡奈美が右裏口付近で遊ぶものと安易に考えており、本件池に近づかないよう注意することも、安全な遊び場所を指定することもしなかつたこと、そして、原告時雄が同女を捜しに出たのが、前記のとおり同女を遊びに出して三〇分以上経つた午後〇時すぎのことであることが認められ、その間同原告が亡奈美の動静に注意を払つていたなどの事情は何ら窺われない。

以上によれば、亡奈美の監護者である原告時雄には、本件事故当時の亡奈美の行動を監視して、同女が本件池に近付いて、危険に遭遇することを防止する義務を怠つた過失があり、これが本件事故発生の一要因をなしたものといわなければならない。

そこで原告らそれぞれの前記損害金八五三万九五九六円について、前記事情を被害者側の過失として斟酌し、その約六割にあたる額を控除し、被告に対し賠償の責を負わせるべき損害額は原告らのそれぞれにつき各金三五〇万円をもつて相当と認める。

八結論

以上のとおり、本件原告らの請求は、被告に対し、各金三五〇万円とこれに対する本件事故発生の日の翌日である昭和五二年三月二八日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九二条、九三条一項、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(田辺康次 加藤英継 相羽洋一)

図面<省略>

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